土地公

福徳正神、民間では「土地公」と呼ぶことが多くて、周朝の時代に張明徳が土地公になったという伝説もあり、周朝の上大夫の家僕であった張明徳は、ある日、主人が家中に幼い娘を残して遠地に赴任した際、父親の元へかの娘を連れて行く途中で風雪に遭い、自らの衣服を与えて主を守ったために凍死したと言われています。臨終間際に空中には「南天門大仙福徳正神」の九字が出現し、忠誠心に対する称号を得て、廟と金の神像を造り、「福徳正神」と名付けています。ある日、玉皇上帝が人間界に土地公を派遣し、何の法術がほしいと問いかけ、土地公:「世の中の人全員は財源が広がりますように、土地豊作になりますように。」そばにいる土地婆は:「ダメです!もしも世の中の人全員がお金持ちになったら、誰が労働者になるんですか。線香をあげ、加護することができます。」今民間では土地公を福の神と見なし、大変尊敬して、土地婆は私心がある人と思われます。ですから、土地公のお寺は土地公しかいなくて、土地婆はいません。