媽祖

媽祖(742~772) 媽祖の本姓は林、名は黙娘で、福建省莆田湄洲嶼の人です。媽祖は生まれた物語があります。彼女の父の名前は林愿といって、高位の官僚をしたことがあります。ある日、林の奥様は南海観音が彼女に「優花」をあげるという夢を見て、これはインド産のお花で、三千年に一回しか花が咲かないんで、彼女はこのお花を丸飲みした後に、ほどなく妊娠しました。十四か月をかけてやっと一人の女の子が生まれた、この女の子は黙娘です。その時は建隆元年(九百六十年)三月二十三日です。黙娘は幼い頃から聡明で、幼少から仏像に礼拝することを知っています。彼女は四人の兄弟がいて、全員商業を営んでいて、よく海の上に往来しています。ある日、彼女は突然慌てふためいてずっと何か喋ってて、すぐに目を閉じました。彼女の父は彼女が病気にかかったと思って、急いで彼女を起こしました。彼女は目が覚めた後に、大変後悔しながら言ってた:「何で私に兄弟を救わせてあげないの、彼らに災難を受けさせないように。」その時、彼女のご両親は彼女の意味を理解していなかったんで、もちろん問いかけもしなかったんです。しかし、可笑しいことに、何日過ぎて、彼女の弟は海上から帰って来て、泣きながら両親にこう言っていた:「三日前に、海上は暴風が荒れ狂って、大波が乗って来て、私たち各自船上に座り、お兄さんの船は不幸に波に遭って飲み込まれました。」最も緊急の時間に、彼は一人の女の子を見て、船の苫の帆柱のロープを引っ張っていて、波が荒れ狂う海上に、平地上のように前へ歩いて行った。この時に彼女のご両親がやっと分かってきて、数日前、黙娘の奇異な行為は恐らくこの事と関係があると、彼女は絶対に特別な霊力があり、精神は肉体から離れて、海まで走って行って、兄弟を助けようとしたんです。しかし、彼らはその時慌ただしく彼女を呼び覚ましていたため、お兄さんの救護に間に合わなかったんです。今思い出したら、とても後悔します。十六歳になり、黙娘はまだ嫁ぎたくなくて、彼女のご両親も彼女に結婚するように強制させなくて、このように穏やかな日々を過ごしました。ある日、彼女が安らかに、椅子に座ってあの世へ旅立ちました。その時まだ三十歳にならず。彼女が亡くなられた時に、誕生時のように、いい香りが漂っていました。そのため人々はよく彼女が霊験を現わし、彼女が「媽祖」と呼ばれました。話によると、明の時代、鄭和は何度も命令を受け、西洋を下りて、毎回出発する前に、彼は必ず太倉劉家港(現在江蘇境)の媽祖廟まで祈りに行き、彼に道中のご無事でお帰り下さいますようお祈りしてます。結果は航行の途中、台風に出会ったことがありますが、すべて無事に過ごして、また媽祖の霊験を現す事績を見ました。媽祖は本来「天妃」、「天后」などの称号を賜り、泉州、漳州、潮州などの地区では、彼女を媽祖と呼びに慣れ、親切で気さくな意味合いがあります。福建省沿岸部一帯に、媽祖は人々から広く尊敬されていて、聞くところによると彼女はしばしば海上に、災難にあ遭った漁民を救護し、リスクを遇する船を救護します。現在台湾では南から北まで、すべて線香やろうそくの真っ盛りな媽祖廟を見ることができます。

109年媽祖誕辰慶典舉辦

【天上聖母南巡會香南迴公路巡境超拔、送化法會暨系列活動】

走踏-後山媽百年傳香路

時間:

109年國曆10月20日-21日東屏南巡會香

10月22-24日送化法會在本宮廣場舉辦

10月23-25日3天酬神歌仔戲。

南巡活動行程:

1  第一天聖母起駕尚武紫雲寺、尚武天后宮會香。聖駕車隊通過草埔隧道至屏東東港東隆宮、再至恆春高山嚴福德宮、車城福安宮會香。福安宮駐駕過夜。

2  第二天早上南迴公路舊線森永福德宮參香。再至達仁南迴公路罹難者慰靈碑祭拜超薦、返駕台東市遶境回宮。

3 啟建3天送化孤魂法會-本宮廣場。

即日起本宮服務台受理隨香報名

費用1500元、限額50人。

電話:08-9325178