城隍爺は台湾人が最も畏敬する神様で、主に人民が安定した生活送るのを切に願っています。「城隍」とは、城(城壁)と隍(堀)の神である城隍神で、中華文化では都市の守護神として信仰されているそうです。礼記礼運の一篇にも書いてあります。大猟とは歳末に天子が万神の贈り物に祭りを営むで、水庸とは城の外堀で、大猟は八人の神様を拝んで、その中の城隍神が七人目で、これが中国城隍爺を祀る初めとなります。五代の唐朝愍帝は城隍神を王の爵位に封じられ、城隍神と称されます。明初、中央から県まで城隍廟を建てられるに至りました。都の城隍神を最上位に、以下府、州、県の順位で各城隍神の位階を定め、都の城隍神を威霊王、以下威霊公、霊佑侯、顕佑伯に封じています。清朝になった時に城隍神を祭祀するのはすでに公式な行事になって供えます。台湾人にとっては、地方官はこの世の事務を管理し、城隍爺は専らあの世を司りつつ、同時に来世を管理して、地方官に陽官と呼び、城隍爺に陰官と呼びます。前者は法律に従って事件を裁きに来て、後者は現世に基づいて来世を決定します。良いことや悪いことに関わらず全て判断しなければいけないです。吉凶禍福は全て審判した結果で、人民は深く信じ、畏怖します。城隍爺は各地に将軍を派遣し、陽間とあの世を巡閲して、人々の行為を監視し、悪しき行為があれば、罪業を審問し、陰罰を与えます。陰罰とは悪人に疾病に罹るや貧困に陥る、死亡さえの罰と考えられます。その一方で、良い人には奨励し、なので、城隍神はまさに陽間とあの世に介在する神様で、人の善悪を司ります。